自衛隊での経験を、社会の力に。元幹部自衛官・西田千尋さんが仕掛ける新しい働き方

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「人のためになることをしなさい」という祖父の言葉に背中を押され、防衛大学校へ進学された西田千尋さん。卒業後は幹部自衛官に。24時間365日、いつ呼び出されるかわからない環境で、転勤を重ねながら二人のお子さんを育てられました。

現在は、企業の未来を担うリーダーを探し引き合わせる「エグゼクティブサーチ」の仕事と、自衛隊で培った危機管理のノウハウをもとに、企業の管理職を鍛える「図上演習」に取り組んでいます。そんな西田さんに、これまでのキャリアをはじめ、知られざる自衛隊での日々、仕事や子育て、働く上で大切にしていることなどを語っていただきました。

「お試しで受けてみよう」で入った防衛大学校

――自衛隊という環境で身につけたことが、今の生き方や仕事につながっているそうですね。まずは自衛隊を目指したきっかけから教えてください。

高校生の頃、地元の高知を出て東京のほうの大学に進学したいと思ったんです。実は行きたい大学はもう決まっていました。でも、防衛大学校はその大学より入試の時期が早いと知って。「東京にも遊びに行けるし、まずはお試しで受けてみよう」と気軽に受験したんです。そこに、祖父から言われていた「人のためになることをしなさい」という言葉が重なって、最終的に防衛大学校への進学を決めました。結果、4年間過ごしたのは東京どころか、横須賀のさらに先、三浦半島でした(笑)。

身内や知り合いに自衛官はいませんでしたし、四国に自衛隊の基地が多く置かれているわけではなかったので、自衛隊自体に馴染みはなかったです。もし高校生の時に自衛隊の厳しさを知っていたら、怖気づいて進路を考え直していたかもしれません。

――あえて厳しさを知らずに飛びこんだわけですね。実際に防衛大学校に入学して、いかがでしたか?

高校時代はテニス部で、練習はそれなりにきつかったので、「厳しさなら慣れているし」と思っていたんです。でも、防大の厳しさは、種類が違いました。部活の厳しさは、うまくなる、勝負に勝つという目的がはっきりしていて、自分で納得して頑張れる。防大は、理不尽に思えることや、自分ではどうにもならない状況が次々とやってきます(笑)。その中でどう生き残るか、大げさなたとえですが当時はそれくらいに感じてました。とにかく、なんとかする。そして、なんとかなった。自分でコントロールできない環境の中でどう考え動くかを最初に叩き込まれました。

それと、当時の防衛大学校は1学年約500人のうち女性は50人ほど。それでも、自分自身を「女性だから」と意識することはあまりなかったです。自衛隊では男女の差や個人の体力差があることを前提にしたうえで、「どうやって集団全員でゴールするか」を第一に考えるんですよ。

例えば、訓練中に体力が限界に達した人がいれば、ほかの誰かが荷物を持ってサポートする。大切なのはチーム全員で目的を成し遂げること。よく言われたのが、「同期に差をつけるな」です。「弱っている奴がいたら助けろ。自分だけでいいのか、周囲をよく見ろ」と。だからこそ「女性だから」という理由で区別される感覚は、ほとんどありませんでした。

――では、卒業後に自衛官になってからは、どのような業務を担当されたのでしょうか?

最初に赴任したのは、青森県の三沢基地。隊員とご家族が安心して仕事に打ち込める環境を整える「厚生」という職種に就きました。最初は職種の知識がない状態なので、赴任から1か月後、専門知識を学ぶため福岡県の第3術科学校という基地に入校しました。その後、23歳で北海道にある八雲分屯基地へ。ここから、本当の意味での幹部自衛官としてのキャリアをスタートさせました。着任してすぐ、10名ほどの部下を持つことになりました。もちろん自分より年上の部下がほとんど。厚生班長としての役職と、部下を持つ責任が、いきなり、どんと自分の肩にのしかかってきました。

それから、山口、福岡、埼玉等と転勤を重ね、航空自衛隊の司令塔である航空幕僚監部(東京・市ヶ谷)で、航空自衛隊全体に関わる業務に就きました。

恩人を説得する側に、航空自衛隊「初」となる基地内託児所の立ち上げに奔走

――全国各地でさまざまな経験を積まれてきた中で、特に印象に残っているプロジェクトを教えてください。

航空自衛隊初の基地内託児所の立ち上げですね。当時、陸上自衛隊と海上自衛隊にはすでに託児所があって、唯一、航空自衛隊だけなかったんです。自衛隊は、常に動ける態勢を保っておく職場です。そうした勤務の特性や、緊急時にすぐ動かなければならない事情にも対応できるように、そして、出産や子育てを理由にキャリアを諦めることは組織としても大きな損失だということで、航空自衛隊でも設置に向けたプロジェクトがスタートしました。

ただ、認可保育所として開設する場合、一般の家庭も利用できるようにする必要があるため、不特定多数の人が基地に出入りすることになります。当然、セキュリティや安全面に関する懸念の声が各所から上がるわけです。私はその調整役として、それまでお世話になった方々も含め説得する側に立たなければならなくて、それは精神的にも大変な業務でした。

結果的に、部隊にも納得してもらい、すごくいい保育業者さんと出会うことができ、隊員に喜んでいただける託児所をつくることができて、本当に嬉しかったです。

「なんとかなるよ」——24時間体制の職場で、育児に悩んでいた私を救った言葉

――西田さん自身も、子育てをしながら幹部自衛官として多忙な日々を送っていたんですよね。

はい。自衛隊はいつ何が起きても動ける態勢を保っておく職場です。夫も自衛官でしたから、いざという時は二人とも部隊に戻らなければならない。「その時、子どもたちをどうするか」は、いつも頭の片隅にありました。当時は、子どもを持つ女性幹部自衛官が異動する先々の基地にほとんどいなかったので、受け入れ側の職場の人も含め不安だらけだったと思います。ある時、出張先でお会いした女性の先輩に相談すると、返ってきたのは「なんとかなるよ」のひと言。正直、その時はもっと具体的なアドバイスが欲しかったんです(笑)。でも、家庭の事情も勤務地の環境も、一人ひとり違う。結局、一番いい言葉だったんだと、今は思います。不安を消す言葉ではなく、不安を抱えたままでも走っていいと教えてくれた言葉でした。実際、本当になんとかなりましたから(笑)。

転勤のたびに子どもの預け先を一から探して、24時間保育の活用や親のサポート、近所で預かってくれる方探しまで、どうしても仕事の代わりがきかない時に備えて、リサーチしたり、お願いをして回ったり。それでも、思うような環境はなかなか見つかりませんでした。

だからこそ、「周りに頼る」ことと「自分の状況を常に開示する」ことを徹底したんです。「今、私と家族はこういう状況です。力を貸してください」と自分に何ができて、何ができないかをオープンにしておく。仕事を滞らせないためにも、これを心がけました。

子育てにおいて、特に女性は不安を抱えがちですが、正解はないと思うんですね。私自身も不安だらけでしたが、その時々の状況に応じて走りながら考えるしかありませんでした。育休明けに復帰した部隊は、自宅から片道2時間。夫の数か月にわたる長期出張にも重なり、17時に仕事を終えないとお迎えに間に合わない。毎日が綱渡りでした。担当者として主催する会議の朝に、子どもが熱を出したこともあります。そんな時は、上司や参加する部署の方に連絡をして、資料が入っているフォルダの場所や会議の論点をお伝えして、「あとはよろしくお願いいたします」と託す。そんなことが何度もありました。そのたびに、申し訳なさで頭を下げて。「すみません。」とよく言っていた時期でした。

それでも自分ができる時に、できることを一生懸命やっていれば、周りが手を差し伸べてくれるんです。小さな信頼の積み重ねこそが大事ということを、この時に実感しました。

自衛官の「その先」のキャリアを、もっと輝かせるために

――では、長年キャリアを重ねてきた自衛隊を離れ、転職を決意された理由は何だったのでしょうか?

厚生幹部として始まったキャリアですが、階級が上がるにつれて、福利厚生や教育といった個別の分野を束ねる総務・人事全体を見る仕事になっていきます。その中で、自衛官の定年後の再就職について調べる機会があって、民間企業のようなステップアップの筋道が整っていない現状を知りました。

自衛官は50代後半で定年を迎えますが、まだまだ働き盛りの年齢です。難しい判断を何度も迫られながら、命をかけて24時間365日勤めてきた人たちのセカンドキャリアが限定的になってしまうのは、もったいないし何より悔しい。もっと「元自衛官」というポテンシャルを生かして、ハッピーな定年を迎えられる仕組みを作りたいと思ったことが、民間企業へ転職する大きなきっかけでした。

とはいえ、防大から26年、自衛隊生活にどっぷり浸かってきた私です。民間企業で本当にやっていけるのか。自分への期待と不安が入り混じっていました。それでも、踏み出せたのは、大好きな自衛隊の仲間の役に立ちたいという思いと、叩き込まれた「なんとかする、なんとかなる」があったからです。

――現在は具体的に、どのような事業に取り組んでいるのでしょうか?

大きく2つあります。主は、縄文アソシエイツ株式会社というエグゼクティブサーチファームでのコンサルタントの仕事です。企業の経営層から課題をヒアリングし、事業の成長に必要な人材を探して橋渡しを行う。「価値ある出会いを創る」仕事です。社内には、「人に会い、人を浴びて、人になる」という言葉があって、みんな、それを体現している。奥が深い仕事だなと、いつも思っています。

もうひとつは合同会社セルフディフェンスパートナーズの共同代表の活動です。「自衛隊式で、企業の管理職を育てる。」会社です。自衛隊の幹部教育をもとにしたマネジメントセミナーと、その実践の場である「図上演習」の二本柱でやっています。

図上演習というのは、会議室でやる危機対応のシミュレーションです。自衛隊は、国防に加え災害派遣などにすぐに対応できるように、日常の訓練に加えて、机上でも繰り返し訓練を行います。だから、いざという時にすぐ動けるんです。民間企業でも、不祥事や災害といった予期せぬ事態は起こりますよね。マニュアルや規定を準備していても、経営陣が適切に動けるかどうかはわかりません。そこで、自衛隊の演習のやり方を企業に応用しようと考えたんです。

実際に起こりうる状況を想定して、「たった今、〇〇が起きました」と状況を書いた紙が一枚渡される。情報は足りない、時間もない。その中で、経営者や管理職の方に、「誰が、何を、どう決めるか」を議論して判断してもらう。決めたら、また次の状況が渡される。頭に汗をかく修羅場を、安全な会議室でくぐってもらう。組織と個人の力は今どこにあるのかがよく分かる訓練です。

自衛官が持つ危機管理能力や、組織運営のノウハウが広く知られれば、自衛官の新たな雇用機会の創出にもつながるはずです。同期たちが「自衛官としての経験は、ビジネス界で大きな力になる」と誇りを持って次の人生に踏み出せるよう、これからも全力を尽くしていきたいです。

好きな言葉は「和顔愛語」。温かい笑顔と思いやりの心を大切に

――自衛隊での経験を社会へ還元しながら自ら道を拓く西田さんから、仕事や家庭など様々な場所で頑張っている女性に伝えたいメッセージは何かありますか?

私が若かった頃は、組織が発信する「ロールモデル」には、型があった気がします。結婚していて、子どももいて、階級も上がっている。その全部がそろって初めて、ロールモデルとして紹介される。先輩たちには、大変なご苦労があったと想像しますし、今たくさんの選択肢があるのも道を開いてくれたからこそと、尊敬もしています。ただ、当時の社会や組織は、本人が「どう生きたいか、どうありたいか」にスポットが当たっていなかった。私自身、その型に自分を当てはめ、落ち込んだり迷ったりした時期が正直ありましたし、違和感も感じていました。

でも今は時代が変わって、多様な働き方や生き方が身近にあって、尊重される時代です。だから無理に誰かの作った型に、制服に、自分を合わせる必要はないんです。それに、完璧なロールモデルって、今はもう定義がなくて、自分らしさ、ありたい自分に近づいていければいい。いろいろな人の生き方から少しずつ“いいところ”を集めて、自分が納得できる仕事と暮らしをつくっていけばいいと思っています。

とはいえ、型を外れれば不安がなくなる、という話でもありません。私も初めて航空幕僚監部(市ヶ谷)に配属された時は、「自分に務まるのだろうか」と大きなプレッシャーを感じていました。でも、周りの先輩たちも壁を乗り越えてきたんだから自分にもできるはず、と思えるようになったことと、実際に先輩や後輩と一緒に働いてみたことで、心がふっと軽くなったんです。恐れているような最悪の事態は、そうそう起こりません。不安は横に置いておいて、目の前のことに集中してみる。それもひとつの方法です。

そして、仕事と家庭のバランスで悩む時期は、誰にでも訪れると思います。そんな時は、完璧な答えを出そうとせず、私がそうだったように、素直に「力を貸してください」と周りに発信してみてください。振り返ると、「なんとかなった」のは、私の力ではありませんでした。子どもが熱を出した時、「すぐ保育園に行ってこい、こっちは大丈夫」と言ってくれた上司や仲間、「家庭が一番」と親身になってくれる今の会社の上司や同僚。いつも、どんな時も支えてくれる夫と、子どもたち。みんなとのご縁に恵まれたから、今があります。

――時には周囲の手を借りながら、自分なりのペースで進んでいけるといいですよね。では最後に、西田さんが大切にしている言葉を教えてください。

「和顔愛語」(わがんあいご/穏やかな笑顔と思いやりのある言葉で人に接すること)という言葉が好きです。自衛隊での過酷な訓練や厳しい状況下でも、優れたリーダーは最後には温かい言葉と笑顔で部下を迎えてくださいました。人がついて行きたいと感じる上司とは、そうした温かさを持った人なんですよね。口を出す方が手っ取り早い場面でも、じっと耐えて部下を信じ、任せて見守る。この姿勢は、子育てや人材育成など、あらゆる人間関係にも通じるものだと思います。

「和顔愛語」で相手を思いやることを大切にしながら、これからも笑顔で自分らしい道を歩んでいきたいですね。

取材・文:佐藤季子  撮影:土岡虎太郎

Profile

西田千尋

西田千尋

防衛大学校卒業後、航空自衛隊に22年勤務。幹部自衛官として約80名の部隊指揮や、隊員・家族の福利厚生に関わる業務、航空自衛隊初の基地内託児所の開設などに携わる。2等空佐で退官後、現在は縄文アソシエイツ株式会社にてコンサルタントとして、企業の経営を担うリーダーの発掘と紹介に携わる傍ら、合同会社セルフディフェンスパートナーズ共同代表として、自衛隊の幹部教育をもとにした管理職セミナーと、危機対応のシミュレーション訓練「図上演習」を企業向けに設計・運営している。

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