児玉美月|服従しない女性たち 【自分らしく生きるための映画紀行 第4回】

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インドで闘ったムスリム女性たち

世界の不正義と闘う女性の姿を描いた新作としてもう一本、インドのドキュメンタリー映画『わたしの聖なるインド』がある。ヒンドゥー至上主義が台頭するナレンドラ・モディ政権下、イスラム教徒を排除した市民権改正法(CAA)の制定に端を発する抗議運動が立ち上がる。イスラム教徒居住地区であるシャヒーン・バーグで、100日以上にも亘る座り込みの中心にいたのが、ムスリムの女性たちだった。この平和的抗議運動は、インド全土に影響を与えた。

『わたしの聖なるインド』では映画の開始直後、舌鋒鋭く主張をぶつけ合う何人もの男性たちによって、画面が覆い尽くされている。黒味に「LAND OF MY DREAMS」と記されたタイトルカードが挟まれ、その後女性たちも姿を現してゆく。映画において男性たちの猛々しい声ばかりがまず前景化するこの映画の構成は、女性の声がしばしば男性の声によって圧倒され、周縁に追いやられやすい社会の図式を想起させるものでもあるかもしれない。監督を務めたノウシーン・ハーンも劇中のナレーションで、「なぜ女は完璧でないと声を聞いてもらえない?」とその非対称性に疑義を唱えているが、『わたしの聖なるインド』は女性たちの声が秘める可能性と力をどこまでも信じ、カメラを向けてゆく。

わたしの聖なるインド 場面写真

ノウシーン・ハーンは自身もムスリム女性であり、彼女の生い立ちが劇中で語られる。ヒンドゥー教徒が多数を占めるインドにおいて、少数派として疎外感を感じていた彼女のなかで、いかにシャヒーン・バーグが居場所になりえたのか。『わたしの聖なるインド』には、シャヒーン・バーグで抗議活動に身を投じる女性たちと同じ境遇を共有する作り手による、共感のまなざしが終始滲む。座り込んでから二ヶ月になるという活動家や暴力を受けた子供を持つ母親たちは、権力者に対し、親でなければ痛みを想像できないのではないかと訝しむ。そのように女性たちの語りには、総じて共感性を求める声が多い。実際、ノウシーン・ハーン監督が何度か口にするように、「共感」は『わたしの聖なるインド』の鍵語のひとつとなっている。カメラがまざまざと捉えた座り込みをする女性たちのあいだで交わされる、慈愛と労りの瞬間もまた見逃せない。

 映画では、シャヒーン・バーグに住むひとりの女性が家の台所で料理をするかたわら、いかにモディ政権が国民を愚弄するゲームに興じているのかを話す。日常的な料理と政治の話が、シームレスに続く。それは、ときに政治を特定の分野から切り離そうとする風潮が根強くあるこの社会に対して、生活と政治が不可分であるというメッセージを暗に送るだろう。『OXANA/裸の革命家・オクサナ』と『わたしの聖なるインド』、これら二本の映画に息づく女性たちの不服従の精神は、混迷をきわめる現代を生き抜くための抵抗の火種を灯している。

文:児玉美月

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児玉美月さん

児玉美月

映画批評家。パンフレットや雑誌などに多数寄稿。共著に『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』『反=恋愛映画論──『花束みたいな恋をした』からホン・サンスまで』『「百合映画」完全ガイド』がある。

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