中郡暖菜の“かわいい”の哲学〜新しい女性の生き方を生み出す思考【vol.4 かわいいもブランドも自分で守る決断】

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今、“かわいい”は誰かに選ばれるためだけのものではなく、自分の価値観や生き方を映し出すものとして広がっています。そのカルチャーを発信し続けているのが、ファッション誌『LARME』編集長の中郡暖菜さん。

本連載「中郡暖菜の“かわいい”の哲学」では、毎回ひとつのテーマを軸にインタビューを行い、中郡さんの思考や価値観を紐解いていきます。

第4回のテーマは、「かわいいもブランドも自分で守る決断」。雑誌を手放さないための起業、採算を度外視した挑戦、そして「やらない」と線を引く判断。その一つひとつをたどった先に見えてきたのは、中郡さんの迷いの少なさの正体でした。

誰かにとられるぐらいなら、自分がやりたいと思った

――2016年、約4年間務めた『LARME』の編集長を退任されていますよね。ご自身が立ち上げた雑誌から離れるというのも、大きな決断だったのではないでしょうか?

「結果的には、退任することになりました。その前年に正社員を辞めたという経緯がありまして。以前すごく売れた特装版の『LARME』がありまして、会社から同じ形で作って欲しいというリクエストがあったんですね。でもそれは、モデルの子との信頼関係があってできた特別な企画なので、そう簡単に再現できるものじゃない。それでも当初聞いていた部数ならなんとか出来るかなと思って、お受けしたんです。ところが制作がかなり進んだ段階で、当初想定していたよりも部数が大きく増えていることがわかりました。部数が変われば作り方や採算の考え方も変わりますし、編集長としてはそこを含めて責任を持って進めたいという思いがありました。その点について会社と話し合ったのですが、会社の方針と私自身の考え方に違いがあることを感じて、まずは正社員という立場を離れることにしました」

――そこから、退任に至るまでには、何があったのでしょう?

「そのあと業務委託の編集長として契約し直しました。ちょうどその前くらいから、LARMEコラボのアパレル事業も始まって、出版事業とは全く違う業務になるので最初からロイヤリティでの契約になっていたんです。そのアパレルがすごく好調で、私自身の仕事の形や会社との関係性も、それまでとは少しずつ変わっていった時期だったと思います。その後、次の業務委託契約更新のときに、これまでとは大きく異なる条件が提示されました。私としてはその条件で編集長を続けることは難しいと判断して、サインはしませんでした。その契約書は、今も大事に手元に残しています(笑)」

――『LARME』を離れてからは、どんな時間を過ごされていたのですか?

「しばらくベルリンに滞在していました。帰国後はフリーのエディターとして、いろんな雑誌で仕事してみたかったんです。だけど、どこからも、誰からも、まったく声がかかりませんでした(笑)。“ウチで本を作りませんか”というお話はいただくんですけど、既存の媒体に入れてくれる気配はなくて。複数媒体を掛け持つフリーのエディターやライターの経験も一度やってみたかったんですが、全然ダメでしたね。これが謎なんですけど、私がやるとなると、なぜか必ず新しい本を作るという話になるんですよね」

――そして、休刊が決まった『LARME』を継続するために、ご自身で会社を興されました。編集者から経営者になる、大きな転機だったと思いますが、腹を決めた瞬間は、どんな心境でしたか?

「『LARME』がなくなるのが、とにかく嫌だったんです。自分が立ち上げて、長い時間をかけて世界観を作ってきた媒体なので、私にとっては自分の一部のような存在でした。このまま休刊になってなくなってしまうことも嫌でしたし、自分が関わらない形で続いていくことにも、当時は複雑な思いがありました。実際、私が離れていた期間の『LARME』は、一度も手に取っていないんです。SNSで画像が流れてくることはあっても、誌面を見ることはありませんでした。それくらい、自分の中では距離を置いていました」

――すぐに、ご自身で買い取るという発想に至ったのでしょうか?

「そういうわけではありませんでした。休刊が発表される前に、まずはいろんな出版社に“どうにか続ける方法はありませんか”と相談して回ったんです。ただ、当時の事業状況を考えると、引き受けることは簡単ではなかったと思います。なかなか具体的な話にはならなかったのですが、それでも相談を続けていたら、“中郡さんがやるなら協力するよ”と、出資を申し出てくださる方がいて。そこで初めて、自分で会社を作って引き継ぐという選択肢を現実的に考えるようになりました」

お金のやりくりは、いつだってハードなゲーム

――中郡さんは現在、『LARME』の編集長であるだけでなく、株式会社LARMEの代表取締役でもあります。経営者になって、ものの見方や決断の仕方で変わったことはありますか?

「無駄が嫌いという感覚が、かなり強くなりました。いち編集部員だったころは完全に予算を使う側でしたけど、起業してからは相当ケチになったと思います。最近は予算も昔よりあるんですけれど、それでもガバガバには使えないですし、細かいところまで気になっちゃいます。たとえば、ロケバスを使うだなんて贅沢は、もうとんでもないので禁止です。スタッフの皆さんの細かな経費まで、全部目を通していますし。本当はすっごい嫌なんですけどね、こういうの(笑)。でも、すべてはそういうものの積み重ねだと思っているので」

――お金への向き合い方が、以前とはずいぶん変わったということですか?

「私自身は、お金そのものに執着はないんですよ。そもそもお金に執着するなら、本を作る仕事はしないほうがいいじゃないですか。お金儲けが目的になると、本のクオリティが、お金に左右されてしまうので。お金のために本を作るというのは、一番やってはいけないことだと思っているんです。そんな本なら、この世にないほうがいい」

――とはいえ、会社として続けていくには、利益も出さなければいけないですよね?

「そこが本当に、ハードなゲームなんですよ。買い取ったときの『LARME』は赤字の媒体だったので、どうにかしないとすぐ潰れる、これまで通りに作ったら潰れる、という切実な状況でした。しかも、今の時代の出版ビジネスは、普通にいい本を作っているだけでは潰れるんです。だから本以外のところでも利益を作り、そこから制作費も出したうえで黒字に着地しないと、スタッフにお金を払えない。LARME FESのようなイベントも、その一環です。イベント制作に大規模のお金がかかるのですごく儲かるわけではないですけど、本よりは利益を生む。とはいえ、それも『LARME』という本があるから、できていることでもあります」

――利益が見込めなくても、やると決めたことはありますか?

「歌舞伎町タワーの杮落としとして行った『LARME』10周年のイベントは、まさにそれでしたね。当時はまだコロナ禍の終盤で、人数制限もあり、お客さまを呼べる状況ではありませんでしたので1000万円規模の赤字でした。会社の決算も、その年に初めて赤字になりました。普通なら、やらないと思うんですよ、そんな身銭を切るイベントは。でも、そのときの自分に出せる全部の力を使い切りまして……。終わった瞬間は本当に腑抜けみたいになって、半年くらい燃え尽きていました」

――それだけの赤字を出しても、やる意味があったと思いますか?

「イベントをきっかけに広がったことが、後々すごくたくさんあったんです。たとえば、会場で行ったランウェイ動画が海外向けファッション系SNSでバズったり。観に来てくださったアソビシステムの社長から、“うちのアイドルと世界観が合うと思うから、一緒に何かしようよ”と声をかけていただいたり。それがデビュー間もないFRUITS ZIPPERさんだったんです。『LARME』ってこういうこともできるんだと、読者の女の子以外にも伝えられる機会として、イベントを通じて多くの人に届いた実感がありますね。開催時は、そんな先のことまで、まったく考えていなかったんですけれど」

「やらない」ことの線引きは、くっきりと

――逆に、依頼があっても「これはやらない」と決めたことはありますか?

「アイドルグループのプロデュースは、やっていないですね。お声がけ自体はあったりするんですよ。でも、それは私はやらないと決めていて」

――アイドルの現場を長く見てこられた中郡さんなら、適任にも思えます。

「いや、アイドルについての知見が、自分にはなさすぎると思っていて。アイドルの子を預かって、その子の人生を背負うというのは、大変な責任が必要だと思います。なのでアイドル経験や芸能経験がある方がやるべきかなと思っていますね。しかも自分が誰かに育てられるのも、誰かに教わるのも苦手という偏屈なところもあるので‥。クリエイティブの部分だったり、作品を通じての関わり方なら、きっといい仕事ができると思うんですけど」

――得意なことと、そうでないことの線引きが、はっきりしているんですね。

「そこは、かなりくっきりしていると思います。人にはそれぞれ、コミュニケーションをとりやすい“規模”のようなものがあると思っていて。マンツーマンが得意な人もいれば、数人がちょうどいい人、何十人という単位が得意な人もいる。私の場合、10人から50人くらいの規模となると、ちょっと密すぎるんですよね。もっと大人数か、逆にマンツーマンのほうが向いているように感じています。ちょうど学校の先生くらいの規模が、自分にとっては一番難しい領域になっちゃうわけです(笑)」

一番大事なところは、誰にも渡さない

――『LARME』は一冊まるごとが中郡さんの世界観で貫かれていますが、すべてをご自身で作るのは難しいはずです。人に任せることについては、どう考えていますか?

「表紙と巻頭は私が担当して、その後ろの企画は他の編集部員に任せています。結局は優先順位なんですよ。全部を自分でやるのは無理なので、優先順位の高いものから自分でやっていく。任せている部分でも、優先度が高いと感じる撮影には、担当が私じゃなくても顔を出します」

――“上司”と呼ばれる立場の人は、部下とのコミュニケーションで悩むことも多いはずです。中郡さんが、仕事を任せるうえで心がけていることはありますか?

「どこからどこまでがその人の仕事なのかを、最初に明確にすることは必要かもしれないですね。“ここまでは私がやります、ここからはあなたがやってね”と、最初に線を引いておく方がスムーズかなぁと。これが、伝えたつもりでも、意外と伝わりきっていなかったり、勘違いされていたりはするんですけど。もし相手が優先順位を間違えていたら、“今急ぐのはこっちだよ”と細かく言うこともあります。そういうマイクロマネジメントは、大変なのでなるべくやりたくないんですけどね‥‥」

――任せる相手によって、関わり方は変わりますか?

「変わりますね。信用していないと、結局は自分で全部指定しないとがっかりすることになるので、チェックもどんどん細かくなってしまいます。私は、自分の企画が一番いいと思っているんですね。そこだけは自信満々なんです(笑)。だから、任せたページについて、納得できないのならば自分でやればいいのだけど、そうすると他のことができなくなってしまうので、そこは仕方がないと割り切っています」

――ということは、本当に納得のいく一冊を作るには、中郡さんご自身の手の比重を上げる必要がありそうですね。

「もし『LARME』が本当に最後を迎えるときが来たら、そのときは一人でやるんじゃないかな。燃え尽きる覚悟で。実は過去にも、自分の好きなことだけを詰め込んだ一冊を、ほぼ一人で作ったことがあって。退任が決まった最後の号で、『LARME 024』です。ずっとこういう本を作りたいと思っている『夜と霧』にちなんだタイトルをつけた号なんです。今でも自分にとっては超大事な、すごくお気に入りの一冊です。私のそれまでの人生のすべてを詰め込んでるので、一生歴史に残る最高の本だと今も思っています。」

――最後に。決断に迷っている人、一歩を踏み出せずにいる人に、中郡さんから一言を届けるとしたら?

「迷っている時間が、一番無駄だと思うんですよ。だから、とにかくやってみてから考えればいい。違ったら直せばいいし、やめたほうがいいと思ったらやめればいい。私はけっこう好奇心旺盛なので、そのぶん失敗も多いんですけど、その失敗が糧になるんですよ。実際によく道端で転ぶんですけど、受け身が上手いから大怪我はしない。小さな失敗をたくさんしておいたほうが、いざというときにカバーできると思っていて。そもそも仕事って、結局は問題解決だと思うんです。円滑に進めるのが仕事なんじゃなくて、問題が起きたときにそれを解決するのが仕事。会社を始めるときだって、やったこともないんだから、うまくいく保証は何もなかった。でも、大事なのは責任感と継続力で、その両方はあるほうかもしれません。だから、たとえうまくいかなくても、ちゃんと落としどころにはたどり着ける。そうしたら、終わったとしても“まあ、そんなこともあったよね”って言えるじゃないですか」

取材・文/高坂知里 撮影/堺 優史(MOUSTACHE)

Profile

中郡暖菜

中郡暖菜

ファッション誌『LARME』編集長。『小悪魔ageha』編集部でキャリアをスタートし、『LARME』、『bis』と立て続けに創刊編集長を務める。その後、一度は離れていた『LARME』が休刊となる事態を受け、復刊させるために起業を決意。株式会社LARMEを設立し、現在は代表取締役と『LARME』の編集長を兼任する。

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