詩は一人きりで読まなくていい。作家・永井玲衣さんとともに詩にであう【前編|辻征夫、谷川俊太郎】

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ことばの限界を言い訳に諦めず、それを出発点にする

―― このメッセージを、詩人が詩として呼びかけていることにも感銘を受けていらっしゃるのかなと感じました。永井さんにとって詩人という存在だったり、詩ということばの在り方はどんなものなのでしょうか。

詩人はことばの限界から出発します。ことばをとても信じているけど、ことばの限界を知っている人たちでもあると思います。

だけどそれは、「ことばって限界があるよね」「ことばって何かを区分けしちゃうよね、ハハ」と終わらせることでは決してありません。あくまでも、そこから出発する人たちなんだと認識しています。

詩人という存在のそういうところに信頼を置いているし、ことばの限界を知りながらも、それでもなお、あなたに言いたい、私は言うんだ、というその姿勢に強く揺さぶられます。そして、詩人という探究者たちが「世界をよく見よう」とすることへの深い尊敬もあります。

ですが一方で、誰もが詩のことばを持っているとも考えています。対話の場で人々が集中して、まさに今目の前の人に対して応答しようとするとき、そこでぽつりぽつりと出ることばは詩のことばだと思うんですよね。

それはその瞬間、そうでしかありえない必然性を持っていることばたちです。でもその必然性というのは完璧ということではなく、同時に限界であるわけで。それで全てを表せるわけじゃないことは本人もわかっていながら、それを賭してそれでも今ここで言ってみる。そういう詩のことばが対話のなかではあらわれるんです。

―― 永井さんはみんなで集って詩を書いてみるワークショップなどを行っていたり、ご自身の著書に対しても読者から「詩的」と言われたりすることがありますよね。一方で、「詩」を自分の作品として発表することはされていないですが、そこには何か理由がありますか。

なんでだろうなぁ。でも、詩人のことが好きすぎるんだと思います。本心では書きたいのに臆してしまっているみたいなことではないですし、むしろ対話の場などを通して普段から多様なかたちの詩的なものに囲まれていて、満足しているとも言えるのですが。

でも本当にとにかく詩人のことが好きすぎちゃうんですね。好きすぎて、詩を書くことについては「いやいや、もっと強くなってから戻ってきたいです!」みたいになっちゃうんです。(笑)

声を通すことで詩が生き直す

―― 詩というものに初めて出会った子どもの頃のことは覚えていますか?

谷川俊太郎さんがご自身の詩を朗読される75分くらいのカセットテープを持っていたのですが、小学生の頃、家へ戻ると布団をかぶってそれを何度も何度も再生していました。

永遠にきいていたので今でも暗唱できるものがあるほどです。「かっぱかっぱらった かっぱらっぱかっぱらった とってちってた……(谷川俊太郎「かっぱ」)」とかっていうふうに。

 

―― 永井さんが詩を紹介するときはいつも朗読してくださったり、みんなで一緒に声に出して読んでみたりするのがいいなぁと思っていました。

谷川さんの朗読を繰り返しきいてきたことで「詩というのは声を通るものなんだ」という認識があるのかもしれないですね。でも、詩って古代ギリシャまで遡ればもともと「声」で表現されるものだったんです。詩ってめちゃくちゃ「からだ」なんですよね。

文字同士のやりとりではなく、からだを使い、声を使うことで、声色や言い淀みそのものが表現となって立ちあらわれることに私は心が震えます。それを対話の場で感じるのと同じように、詩のことばも立ち上げたいし、「からだできく」ということをしたいと思ってよく朗読するのかもしれません。

「やんまにがした ぐんまのとんま」から始まる谷川俊太郎の「やんま」という詩があるのですが、どんな声で読むんだろうとテープを再生してみると、ものすごく無邪気にふざけた声で谷川さんは読むんですよ。

それをきいて子どもの私はげらげら笑うのですが、からだを通ることで「やんま」がどんなにユーモラスな詩なのかを理解するんです。そうやって声を通すと文字とは全く違う仕方で生きたことばが訴えかけてきます。

―― 永井さんと「日本国憲法にであいなおすための朗読会」という場をご一緒したことがありますよね。そのときにも声の力みたいなものを強く感じました。

そうですよね。日本国憲法は特に文字で見ると、なんだか「何かのお告げ」だったり「決められたルール」かのように感じてしまうかもしれません。ですが、今ある憲法だって声を通して読んでみたら、「ああこれはまさにたくさんのひとたちの“声”なんだ」って気づかされますよね。「ここに人間がいるんだ」というふうに語りとしてことばが立ちあらわれてきます。

もちろん、文字も声も両方必要だし大切です。文字はより普遍的にことばの事実性を重厚に際立たせますが、それに対して声というのは非常に個別的なものなのだなと思います。

 

取材・文:アリサ 撮影:土岡虎太郎

後編(2026/11/9配信予定)に続く


書籍紹介『辻征夫詩集』

「きみのなかに残っているにちがいない/ちいさな無垢をわたくしは信ずる/それがたとえ蟻の涙ほどのちいささであっても/それがあるかぎりきみはあるとき/たちあがることができる」(「蟻の涙」より)。やわらかくやさしい言葉づかいにユーモアをのせて、軽みの奥から人生の喜びとなぐさめがにじみ出る詩を書いた詩人・辻征夫。「美しいもの」「かぜのひきかた」「桃の節句に次女に訓示」「レイモンド・カーヴァーを読みながら」など、ゆったりと静かに語りかけてくる珠玉の七十二篇。(編・解説/井坂洋子)

Profile

永井玲衣

永井玲衣

人びとと考えあい、ききあう場を各地でひらく。門前仲町を拠点とする対話と表現のプロジェクト「応答」、Gotch主催のムーブメントD2021などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)『世界の適切な保存』(講談社)『さみしくてごめん』(大和書房)『これがそうなのか』(集英社)八木咲との共著『せんそうって』(講談社)。第17回「わたくし、つまりNobody賞」受賞。詩と植物園と念入りな散歩が好き。

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