児玉美月|架空の“ユートピア”が暴くもの【自分らしく生きるための映画紀行 第14回】

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夢のような日々の正体は……

1950年代、「ビクトリー」と名づけられた美しい町で暮らす仲睦まじい夫婦のアリスとジャック。ジャックが仕事から帰ってくるまで、アリスは家で美しく身なりを整え、部屋中を隅々まで磨き上げ、完璧な料理をいくつも準備して待つ。幸せそうなアリスとジャックのドライブでは排出された煙が渦を巻き、家の前には丸く塗装されたドライブウェイが設けられている。俯瞰で映されるコーヒーカップ、クロースアップされた眼球のショット……劇中に頻出するそうした円形のモチーフが、過度に秩序化された世界を象徴する。

夢のような日々を送っていたアリスだったが、町の運営に関わるビクトリー社の社長が開いたパーティに夫婦揃って出席したとき、町の住人のひとりであるマーガレットが取り乱しながら「彼らに閉じ込められている、何も大丈夫じゃない」と話しているところを目撃してしまう。実は女性たちには、決して町の外に出てはいけないというルールが課されていた。アリスはその日を境に、次第に自分の生活に不信感を覚えてゆく……。

『ドント・ウォーリー・ダーリン』の監督を務めたオリヴィア・ワイルドの第一作目『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』(2019年)では、勉強に励んでいた親友同士が卒業間近にパーティへと繰り出す。そこではカムアウト済みのレズビアンの恋がポジティブに描かれ、悲劇が占有してきたレズビアンの物語に抗し、あるべき未来へのマニフェストを提示した。その『ブックスマート』のワイルドが監督であることを踏まえれば、夫は外で仕事をし、妻は家庭を守るという性別役割分業やジェンダーのステレオタイプが誇張された『ドント・ウォーリー・ダーリン』に、違和感を覚える観客も少なくないだろう。

映画はあらかじめ想定しているであろう観客の違和感を刺激しつつ、やがてアリスの生きていた世界が「現実」ではなく、ある者の画策によって構築された架空のユートピアでしかなかったことを明かす。どれだけ幸福に見えていたとしても、それがアリス自身の選択した人生でないならば、すべてまがいものでしかない。アリスはいったい何者なのか、なぜ別の人生へと放り込まれてしまったのか──。

ビクトリーには自分の置かれた環境に疑問を抱いて闘おうとするアリスのほかにも、家父長制的な価値観を内面化してのし上がろうとする女性や、構造を理解しながらも声を上げられない女性などが登場する。それは男社会のなかでさまざまな立場に置かれた女性たちがいる、わたしたちの現実社会の鏡写しとなる。『ドント・ウォーリー・ダーリン』は、ホモソーシャルな社会が実際のところ脆弱なものでしかなく、ひとたび女性たちが連帯すれば無傷ではいられないことを謳う寓話たりえる。

Profile

児玉美月さん

児玉美月

映画批評家。パンフレットや雑誌などに多数寄稿。共著に『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』『反=恋愛映画論──『花束みたいな恋をした』からホン・サンスまで』『「百合映画」完全ガイド』がある。

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