児玉美月|解体されてゆく「母性」と「母親」 【自分らしく生きるための映画紀行 第10回】

最後まで隠される子の顔、過労の母親と無力な父親、家に生じた超常現象的な穴……。9月18日公開の映画『ワンオペレーション』は、『ナイトボーン』とこうした共通項によって結ばれる。

『ワンオペレーション』ではセラピストであるリンダが、病を抱えているためお腹の開口部に入れたチューブから栄養を送って生活しなければならない幼い娘の育児に追われている。余裕のないなか、突如として天井を突き破って大量の水が家に浸水してしまったため、ホテル暮らしを余儀なくされてしまう。船長として働く夫は長期出張のため不在だが、たえずリンダに電話で小言を繰り返す。さらに、シッターを信用できず育児にひとり奮闘しているクライアントのキャロラインは精神状態が不安定になっており、息子をリンダのもとに残して失踪してしまう。家の天井の改修工事もなかなか進まず、最悪の事態が次から次へと降りかかってくるリンダは、ついに限界を迎えていた。

映画はリンダの顔を執拗にクロースアップで映し出しながら閉塞感を醸成し、徹底して彼女の主観に観客を追随させてゆく。音楽はほとんど流れず、娘に取り付けられた医療機器の電子音や金切り声などの生活音を横溢させ、ストレスフルな状況を形成する。医療機器のランプが画面を真紅に染め上げるなど現実離れした極端な色彩設計が、観客をリンダの精神世界へとぐっと引き込む。

『ナイトボーン』と同じくリンダの娘は声が聞こえているものの、顔はつねに画面から見切れており、はっきりとは視認できない。名前も一度も呼ばれず、「あの子」「娘さん」などでしか名指されない。『ナイトボーン』でもサーガは次第に「クーラ」ではなく、自分の子供であるにもかかわらず、「あれ」などと呼ぶようになる。こうした顔や名前の欠落は、心理的窮地に立たされた彼女たち母親にとって、我が子の人間性を感じられないことを示唆しているのかもしれない。

社会は女性に対して「よき母親」像を期待するが、それはひとりの人間が引き受けるには、あまりに多大なものである。今までごく当然のように受け入れられていた社会通念は、実際のところそれを負わされる女性にとっては過度な重圧であり、彼女たちは極限まで追い詰められて精神に破綻をきたしてゆく。

子供はひとりで誕生しないにもかかわらず、母親ばかりが責任を重く背負わされてしまう強固な性別役割分業にこの二作品は自覚的であり、『ナイトボーン』ではときに夫のジョンは口論の末に家を出ていってしまうが、サーガは赤子のそばから決して離れられない。『ワンオペレーション』では、リンダがひとりで外出したことを電話で咎めてきた夫のチャールズへ「あなたはいつだって好きな場所に行ける」と不満をぶつける。

Profile

児玉美月さん

児玉美月

映画批評家。パンフレットや雑誌などに多数寄稿。共著に『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』『反=恋愛映画論──『花束みたいな恋をした』からホン・サンスまで』『「百合映画」完全ガイド』がある。

BookShelf

おすすめの書籍

すべては果てしない賭け

すべては果てしない賭け

Amazon

楽天ブックス

紀伊國屋書店

Related

関連記事

Recommend Movies

おすすめの動画

Recommend

おすすめの記事

Tags

おすすめのタグ