児玉美月|「いいこ」であるクィアたち【自分らしく生きるための映画紀行 第5回】

Index目次

「いいこ」である娘

「いいこ」でいなければいけないという呪縛を背負わされた子供は、大人になる過程のどこで、その役割から降りることができるのだろう。6月は、クィアを祝福するプライドマンス。ここでは、模範的な「いいこ」であることに葛藤する若いクィアたちの物語──『グッドワン』と『Shiva Baby シヴァ・ベイビー』を取り上げたい。

『グッドワン』では、大学進学を目前に控えた17歳のサムが、父親のクリスと彼の友人であるマットとともに、二泊三日のキャンプに出かけてゆくだけの小さな物語が語られている。しかし、その休暇のなかでサムはある出来事に遭遇し、クリスとの関係にも変化が訪れる。

『グッドワン』場面写真

©2024 Hey Bear LLC.

彼ら三人の会話では、つねにサムが聞き役に回り、クリスとマットのくだらないジョークに笑って合わせたり、決して気分を害さないように空気を読みながら調整役に徹したりしている。カメラは話者ではなく、耳を傾けている無言のサムのほうに焦点を当て、その微細な感情までをも掬い取ろうとする。サムが幼い頃からどれだけそうした感情労働にいそしんできたのかを、つまびらかにするかのように。サムがいかに「いいこ」かは、泊まる宿で真っ先にベッドに倒れ込むクリスとマットの傍らで床に眠り、キャンプ中も食事の支度などを率先して任されるといった何気ない描写からも窺える。

本来であれば、親が子を守り教え、子供は親よりも未熟な存在であるはずが、『グッドワン』における父と娘の関係はそれが反転している。サムは、早く大人にならざるをえなかった子供なのだ。それでもお互いを愛するがゆえ、クリスは「よき父親」になろうと努力し、サムは「いいこ」であろうと歩み寄る。

『グッドワン』は生活のなかで覚える違和感の数々を、丁寧に掬い上げてゆく。普段、わたしたちは違和感を覚えたとしても、仕方ないと諦め、当たり前だと見過ごし、大丈夫だと自分を思い込ませながら生きている。けれどこの映画は、それを言葉にしてもいいのだと、そっと背中を押してくれる。

『グッドワン』場面写真

©2024 Hey Bear LLC.

 

Profile

児玉美月さん

児玉美月

映画批評家。パンフレットや雑誌などに多数寄稿。共著に『彼女たちのまなざし 日本映画の女性作家』『反=恋愛映画論──『花束みたいな恋をした』からホン・サンスまで』『「百合映画」完全ガイド』がある。

Related

関連記事

Recommend Movies

おすすめの動画

Recommend

おすすめの記事

Tags

おすすめのタグ