児玉美月|服従しない女性たち 【自分らしく生きるための映画紀行 第4回】
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戦闘服としての裸の上半身
アーティストであり活動家、そしてトップレスによる抗議で知られるフェミニスト活動団体“FEMEN”の共同創設者オクサナ・シャチコを描く『OXANA/裸の革命家・オクサナ』が、いま公開されている。
“FEMEN”は街頭の討論サークルで出会った女性たちにより結成され、自由と平等を目指し、最初は医療過誤によって女性患者を死なせた病院の腐敗への抗議から、活動を徐々に拡大していく。2009年には、ウクライナの首都キーウ(キエフ)でFEMENのメンバーが、同国のセックスツーリズム撲滅を政府に対して呼びかけた。そこでオクサナ・シャチコたちは、上半身の衣服をすべて脱ぎ捨てれば、世間の注目を集められることに気づいたのだった。そのときから、裸の上半身は性的対象でもなく、誘惑の道具でもなく、彼女たちにとって戦闘服となった。
映画は、反体制的活動によって政治亡命を余儀なくされたシャチコが移り住んだパリでの芸術活動に没頭する現在と、ウクライナでFEMENの活動に献身していた過去とを行き来してゆく。そこには、わずか31年という短い時間ながら、シャチコの濃密な人生が綴られている。監督を務めたシャルレーヌ・ファビエの「映画全体を一枚の絵画のように構築したかった」という目論見通り、『OXANA/裸の革命家・オクサナ』はたんにオクサナ・シャチコの半生を追った自伝映画では飽き足らず、彼女の芸術的感性と共振し合うアーティスティックな画作りを試みている。

「芸術家はつねに革命家である」というオクサナの揺るぎない思想は、しばしば議論を起こす芸術と政治の結びつきについて再考を迫り、アクチュアリティを帯びた問いをわたしたちに投げかける。崇高な精神で自由と平等を希求したオクサナが、闘いの代償として受けた痛みや傷を、どう芸術に昇華していったのか……。それはまた、メディアが作り上げた過激でセンセーショナルな公共のイメージの裏に潜む、生身の人間としてのオクサナ・シャチコの肖像を新たに立ち上げる試みでもあった。
ポピュリズムが存在感を強め、民主主義が危ぶまれ、女性の権利がなお脅かされているこの時代に、彼女が放つ言葉の数々は、世界へと放たれた檄文のごとき力強さを持つ。
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