中郡暖菜の“かわいい”の哲学〜新しい女性の生き方を生み出す思考【vol.1 はじめに】
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『小悪魔ageha』時代に得た、表現への自信

――その後は音大に進まれましたが、編集者になるという気持ちは変わりませんでしたか?
「音楽の道に進む気持ちは1ミリもなかったです。ただ、今思うと、ピアノって試験で一音でも間違えちゃいけないじゃないですか。一曲で何千回と音を鳴らすのに、本番では1回も間違えちゃダメっていう。それって、編集の赤字を入れる作業に似ているなって思っていて。音楽を学んだことも、糧になっているなって」
――音大卒業後、『小悪魔ageha』編集部で編集者としてのキャリアをスタートされましたが、振り返ってみて順調でしたか?
「初めて担当した編集企画だけは直されたんですけど、それ以降はほぼ直しがゼロだったんですよ。テキストも、写真のセレクトも、レイアウトも。私のこの感覚でいいんだって認めてもらえた気がして、自信につながりました。モデルはみんなキャバ嬢だったから、遅刻や持ち物忘れは日常茶飯事だったんですけど。私の企画の撮影日だけは、遅刻しないし、ちゃんと持ち物を持ってきてくれる。だから編集部の同僚たちからは、“みんなはるちゃんの企画に出たいんだね”って言われてました(笑)」
――ご自身の編集者としての才能は、どういうところにあると思いますか?
「私はたぶん、写真のセレクトが超うまいんだと思うんです。何気ない小さな1枚でもこの1枚が表紙になったとしたらモデルはうれしいか? ほかの媒体の表紙と並べて、埋もれない1枚か? そういう基準で選ぶ感覚が、早くから備わっていたというか。実際、私が担当する企画の写真は、読者アンケートの項目“いちばん好きだった写真”で上位を独占していたんです。ときには、カラコンつけてとか、おでこ出してとか、モデルの希望に沿わないことをお願いすることもあるけれど、いざ本になって世に出ると、それが評判よかったりするんですよね。私のそういう感覚は、あまりズレていない気がしていて。だから周囲も、納得してくれるのかなと思います」
――その美的センスは、どうやって培われたのでしょうか?
「編集者1年目は、やりたいこと・作りたいものをスタッフにうまく説明できなくて、めちゃくちゃ苦労しました。勉強のために、カメラマンさんやスタイリストさんにオススメの映画を3本ずつ教えてもらって、ひたすらそれを観たり。美術館に行ったりもしましたね。モデルへのポージング指導も難しかったから、これやってと見せられるよう写真をたくさん用意もして。今みたいにスマホで簡単にって時代じゃなかったから、コツコツやりました」
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