児玉美月|自分の身体についての選択【自分らしく生きるための映画紀行 第2回】
口に出せない言葉
『あのこと』において、「中絶」は「あのこと」に留め置かれ、口に出すのも恐ろしいこととして唾棄されていた。時代も場所も異なるものの、その主題において類縁関係にある『17歳の瞳に映る世界』では、望まない妊娠をした17歳のオータムとその従姉妹スカイラーが、住んでいる場所では中絶の規制が厳しかったため、ニューヨークへと旅立つ。『17歳の瞳に映る世界』のオータムも『あのこと』のアンヌと同様に寡黙で、はっきり「中絶」と口にすることもほとんどない。その言葉は、簡単に発してしまえないほどに複雑な様相を帯びている。オータムとスカイラーの旅も、直接的な会話は介さず、暗黙の了解によって静かに幕が開けていく。映画はその沈黙のなかに、彼女たちの意思の強さを潜ませている。
オータムは妊娠を終わらせるためにサプリメントを大量摂取したり、腹部を強打したりするなど、自分の身体を傷つけてしまう。『あのこと』でも描かれていたように、中絶への高い障壁は、彼女たちの命を危険に晒す。オータムは、鼻に安全ピンでピアスを開ける。その身体改造は、たんなる自傷行為というよりも、どうにもならない妊娠に直面しながらも、身体の自律性を回復しようとしている行為といえるかもしれない。
選択の権利
原題は“Never Rarely Sometimes Always” (一度もない、めったにない、ときどき、いつも)──これは、オータムがリプロダクティブ・ヘルスを支援する「プランド・ペアレントフッド」で受けるカウンセリングの質問への選択式の回答から採られている。なぜ望まぬ妊娠をしてしまったのかを饒舌に語らないオータムの本音が、形式的なそのカウンセリングからわずかに読み取れる。おそらくひとりでつらかったであろうオータムは、そこで初めての涙を浮かべる。
スカイラーがオータムのため、お金を貸してくれる男性とキスをしているとき、スカイラーとオータムは柱の影でそっと手を繋ぐ。この社会で「女性」という属性を割り振られて生きるなかで生じる経験や感情の同質性が、繋がれた手と手の隙間から溢れ落ちていく。なぜオータムのためにスカイラーがそこまでするのかが、その繋がれた手に滲む。いつ、誰が同じ状況になってもおかしくない。中絶の自由は、すべてのひとが自分の身体について他者から管理されることなくコントロールできるかという人権問題であり、さらにいえば、どういう人生を望むか、そしてその人生の舵取りを自分自身でできるのかという選択の権利でもある。オータムの暮らすアメリカでは、2022年に中絶の権利を憲法上の権利として認めていたロウ対ウェイド判決が覆された。『あのこと』と『17歳の瞳に映る世界』は沈黙と身体の痛みを通して、容易に揺らいでしまう選択の権利をどう守っていけるのかを、わたしたちに鋭く問う。
文:児玉美月

DVD発売中
『あのこと』
¥4,290(税込)
発売・販売元:ギャガ
© 2021 RECTANGLE PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINÉMA – WILD BUNCH – SRAB FILMS

『17歳の瞳に映る世界』
DVD: 1,572 円 (税込)
発売・販売元: 株式会社ハピネット・メディアマーケティング
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※記事公開時の情報です。
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