挫折の先にあった作家人生。『あきない世傳 金と銀』『星の教室』の人気作家・髙田郁が紡いだ、自分だけの物語

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『みをつくし料理帖』シリーズや、『あきない世傳 金と銀』シリーズなどで読者を魅了してきた大ベストセラー作家・髙田郁の最新作『星の教室』が、俳優・桜田ひより主演で映画化! そこで、物語の舞台となっている夜間中学への思いから、自身の人生観まで、髙田先生にじっくりお話を伺いました。

作家デビューの裏にあった挫折。そして、苦しいときに支えとなった父親の言葉。つらい経験があったからこそ、今がある——。

人生の選択に迷っている人の背中をそっと押してくれる、温かいメッセージが満載です。

26年越しに提出できた“宿題”

——『星の教室』は、もともと髙田先生原作の漫画として発表された作品だそうですね。

夜間中学の取材をしたのが2000年で、漫画としての雑誌掲載が2001年なので、取材から26年越しの小説化になります。当時、「1冊のコミックにまとめる」という約束を夜間中学の皆さんとしたのですが、果たせないままだったので、私の中でこの作品は、ずっと“残された宿題”のようだったんですね。26年経って小説にできて、ようやく宿題が提出できたという気持ちです。

——なぜ夜間中学を舞台にした作品を書こうと思われたのでしょうか?

今から40年以上前の話なのですが、父が入院していた病室の窓から公立中学校が見えたんです。夜になると教室に明かりがついて、お年を召した方たちが集まってくる。最初は健康教室でもあるのかなと思っていたのですが、父が「いろいろな事情で義務教育を受けられなかった人が、ああやって夜に中学校に通ってるんや」と教えてくれて。それが夜間中学を知るきっかけでした。

しばらくして漫画の担当編集者に書きたい題材を聞かれたとき、夜間中学のことを思い出して、「夜間中学が舞台のお話を書きたい。ただ、私自身よく知らないので、まずは取材をしたい」と伝えました。その後、大阪にある夜間中学に取材を試みましたが、ことごとく断られてしまって。ところが、1校だけお話を聞いてくださるところが見つかったんです。それが天王寺夜間中学でした。先生にお会いしてお話をしたところ、先生のほうから「生徒になって学校に通ってみませんか?」とおっしゃってくださって。

——夜間中学に通って生徒たちと交流を深めていく……。まさに『星の教室』に登場する、漫画家のモチ先生そのものですね!

そうなんです。モチ先生は私自身がモデルです。私も夜間中学の皆さんに少しずつ受け入れていただいて、クラスメイトの一員になっていきました。 夜間中学は公立の中学校なので、通常の中学校と同じように運動会も文化祭も遠足もあるんですよ。そういった行事も皆さんと一緒に経験させていただきましたね。

——今回、小説を書くにあたって、夜間中学を改めて取材をされたのでしょうか?

現状を知っておきたかったので、追加の取材をさせていただきましたが、物語を書き足したりはしていません。昔と違っていたのは、補食(給食)がなくなっていたことですね。生徒の皆さんは、コンビニなどで買ったものを持参して食べていました。あとは、エレベーターや多機能トイレの設置など、素晴らしい変化もありました。以前は車椅子の方をみんなで担いで階段を上り下りしていましたが、そういった苦労も、今は少ないようでした。

——夜間中学をめぐる状況も、以前とは変わっていました?

私が取材した当時、国は「夜間中学はいらないのではないか」というスタンスだったんです。でも今は、各都道府県に1校の設置を目指しています。 それと、昔は中学校に通ってなくても、卒業証書を受け取ってしまうと形式上は卒業したことになって、夜間中学に入学できませんでした。でも今は、そういった方も受け入れられるようになったんですよ。

ただ、環境や状況は良くなっても、夜間中学の存在自体は一般的には知られていないので、もっと多くの方に知ってもらいたいというのが私の思いです。

——不登校の小中学生が増加している今、若い世代にとっても夜間中学は、きっと必要な場所ですよね。

そう思います。昔は「学校は行かないといけない場所」という認識で、親も不登校を許さなかったところがあったと思うんです。でも今は、「大変な思いをしてまで行く必要はない」とおっしゃる親が増えました。それはお子さんにとって良いことですし、幸せなことだと思います。一方で、学ぶ機会を子どもたちが逃してしまうのは、切ないですよね。夜間中学は“学びたい”という気持ちを何よりも大事にしている場所なので、そういった意味でも、夜間中学の役割が、これからもっと増えていくように思います。

——『星の教室』では、主人公のさやかが周りの人たちとの関わりを通して、“言葉や文字の持つ力”に気づく姿が描かれています。髙田先生も、夜間中学の取材を通して同じ経験をされたのでしょうか?

自分の親世代くらいの人たちが、平仮名やカタカナ、漢字を一生懸命学び取っていく姿を見て、どれだけ自分が言葉や文字をないがしろにしていたのかを思い知りました。そのときに、「私はこの先、誰かを貶めたり、傷つけたりする文字や言葉を使いたくない」と思ったんです。作中でさやかが自分にとっての“呪いの言葉”を“幸せを祈る言葉”に変換したように、私もしっかり言葉と向き合わなくてはと思いましたね。

——では、この小説を通して一番伝えたかったことを教えてください。

私は伝道師ではないので、その質問にはいつも困ってしまうのですが(笑)、今回の作品に関しては、はっきり伝えたいメッセージがあります。夜間中学のことを知ってほしい、それが一番です。だからこの本を読んでくださった方は、周りに夜間中学のことを伝えてほしいんです。

——今回の映画化は、夜間中学のことをより知ってもらえるチャンスでもあるのですね。

そう思います。映画に関しては、『星の教室』が刊行されたわりと早い段階から、角川春樹さんが「この小説を映画にしたい」とおっしゃっていて。実現していただけて、すごく嬉しいですし、映画の内容を伺っただけで映像が浮かんできて、「私の大好きな角川映画や!」と思いました。映画館で拝見するのを楽しみにしていますし、たくさんの方に観ていただきたいと思っています。

流されるように始まった作家人生

——ここからは、髙田先生自身について伺いたいと思います。先生はもともと作家になるのが夢だったのでしょうか?

いえ、私は判事を目指していたので、そのために大学も法学部に進学したんです。でも、司法試験を受けては落ちるの繰り返しでした。

なぜ文章を書こうと思ったのかといいますと、父が私にかけてくれた言葉や、応援してくれた言葉を形にして残したいと思ったからです。当時、病院の集中治療室にいた父に会えるのは、1日5分。残りの23時間55分は、ずっと自分を責めていました。私がもっとしっかりしていれば、父は体を悪くしなかったのではないか、と。

そんなときに漫画雑誌に載っていた原作大賞の募集を見て、小説なんて書いたこともないのに、コンビニで原稿用紙と筆記用具を買ってきて、父の面会時間の合間に投稿作を書き上げました。その作品で特別賞をいただいたんです。 猛勉強しても司法試験に受からなかったのに、初めて書いたものが評価された。もしかすると進むべき道はこっちなのかもしれないと思い、漫画原作者になることを決めました。

そんな経緯なので、昔から抱いていた夢を叶えて物を書く仕事についたわけではないんです。それが自己評価の低さにもつながっていて、書いても書いても何かが足りない。もっと良い物語が書けるんじゃないかという気持ちが、今でも拭えません。

——でも、書くことそのものの喜びはありますよね。

書くことはやっぱり好きですし、書いているときは、それはもう夢中です。それと同時に、私は物事を調べることが好きなんですよ。自分が知らなかったことのわずかな糸口をどんどん辿っていって、根っこに辿り着いたときの「見つけた!」という瞬間の喜びは何にも代えがたい。 ただ、そこで得たものを文章で人に伝えるところまで強く意識しているかというと、そうでもなかったりします(笑)。もちろん伝わるといいなと思いながら書いてはいますが、普段の作品は『星の教室』ほど、はっきりとしたメッセージを持って書いているわけではないんです。

漫画原作者から小説家へ。背中を押した3つの出来事

——同じ「書く」という仕事でも、漫画原作者から小説家へ移る決断は、先生にとって大きな出来事でしたよね。

漫画の原作って、その漫画が世に出なければ、原作を目にするのは漫画家さんと担当編集者だけ。人に読まれることがないんです。その状況を知った友人が、「あなたの書いたものが誰の手も介さずに、そのまま読者に届くほうがいい。自己完結できる媒体に移ることを考えたほうがいい」と言ってくれたんです。

ちょうどそのころ私は網膜に穴が開く病気になって、「今、筆を断つとしたら、一番の後悔は何だろう?」と考えていた時期だったんですね。同じ頃、山本周五郎さんの『なんの花か薫る』という作品を読み返していて、登場人物の声が耳元で聞こえたり、情景が目の前に立ち上がってきたり、という読書体験をするのです。こんな小説が書けたら、もう何もいらないと思っていたんです。その3つが私の背中を押してくれて時代小説家に転身しようと思ったのですが、そこからが大変で。

時代小説を書きたいと思っても素養がなかったので、図書館に朝から晩まで通って、江戸時代のことを勉強しました。もともとその時代が好きだったので、勉強していると幸せでしたし、どんどん知識が蓄えられていく甘い時間だったと思います。その反面、図書館から一歩外に出ると、足が沼にズブズブ埋もれていくような感覚があって、これから私はどうやって食べていけばいいのだろうと、ずっと悩んでいました。

大病を経て気づいた、人生の儚さ

——そういった時間を経て、『出世花』(2008年刊)で小説家としてデビューするわけですね。

『出世花』で、ある賞をいただきましたが、それでももう大丈夫だとは全く思いませんでした。時代小説で売れる条件って3つあって、「江戸時代が舞台・捕物・剣豪もの」に私の小説は沿っていないと編集者に言われたんです。続編の原稿を送っても、そのうちに編集者から返信がなくなり、もう無理なんだなと思いました。

それで、プロアマ不問の小説賞を自分で探して投稿し始めたんです。最終選考に残っても賞を獲れなかったこともあって、何度もあがきましたよ。そのあがきを経て、結果的に『出世花』、『銀二貫』(2009年刊)を刊行して頂けました。一番最初に出た『出世花』を角川春樹さんが読んでくださったことで『みをつくし料理帖』(2009年)をハルキ文庫から出版することができました。

『みをつくし料理帖』は、出版社を挙げて応援してくださいましたね。編集部にご挨拶に行ったとき、営業や総務の方まで本の感想を伝えてくださって、会社ぐるみで応援してくださり本当に嬉しかったです。それに、全国の書店さんも全力で売ってくださいました。まったく無名の新人の本にポップをつけてくださったり、手書きの帯を巻いてくださったり……。口コミで読者が増えて版を重ねることができたのは、皆さんのおかげです。

——試行錯誤を繰り返しながらの人生だと思いますが、今まさに人生に迷っている方たちに伝えたいことはありますか?

人生に迷いはつきものだと思います。私は昨年、くも膜下出血と硬膜下血腫を患って、思っていたより“死”が身近なことに気づきました。人生は儚いもの。トライできるときに挑戦しないともったいない。何かに挑戦するのに遅いということはないので、動けるときにやりたいことをやっておいたほうがいいということを、皆さんにお伝えしたいです。

——その考え方は、お父さまの存在が大きいでしょうか?

とても大きいです。周りの人は司法試験にどんどん受かっていくのに、私だけ取り残されて、もうダメだなと思ったとき、父が「人目を気にしなくていい。思うように生きなさい」と言ってくれました。その言葉を聞いて、自分がどう思われるかを気にしすぎなくていいんだと気づいたんです。

司法の世界に行けなかったことは当時の私にとって大きな試練で、努力をしても夢に届かない、とてもつらい経験でした。でも、夢が叶わなかったからこそ、今の私がある。作家として世に出ることができた私は、本当に幸せだなと思います。その幸せは、支えてくださる方がいるからこそ。皆さまには感謝の気持ちでいっぱいです。

取材・文:佐藤季子

Profile

髙田郁

髙田郁

兵庫県宝塚市生まれ。1993年に集英社レディスコミック『YOU』で漫画原作者・川富士立夏としてデビュー。2008年に髙田郁として小説家デビューを果たす。大ベストセラーとなった『みをつくし料理帖』シリーズのほか、『あきない世傳 金と銀』シリーズなど、数々の作品を世に送り出す。2026年秋、最新作『星の教室』の映画化が予定されている。

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